「悪い、土曜は大学同期との飲み会なんだ」
佐藤くんからの誘いを少々申し訳ない気持ちで断ると「W大ラグビー部の飲み会ですか?」と聞いてくる。
「そうだよ、なんせ我らが韋駄天が日本代表監督になった記念の飲み会を俺なんかがサボれるわけがないだろ?」
「言われてみれば同期でしたね、西島和寿選手」
「知ってたのか」
「ええ、テレビで見てましたから。ラグビー低迷期真っただ中の日本対オールブラックス戦で唯一トライを奪いながら試合中の事故でグラウンドを去った悲劇の韋駄天」
さすがはラグビーオタクと言うか、その知識量には思わず舌を巻く。
うちの娘たちは絶対知らないだろうなと思いながら「それで概ねあってるよ」と答える。
「ま、そういう事なら仕方ないですね。楽しんできてください」
「そうさせてもらうよ」

***

飲み会の会場は中野の個室居酒屋で、ずいぶんでかい部屋を予約したなとと幹事の井伏に告げれば「そりゃあ西島のお祝いだからな」と彼はいう。
同期達もほとんどが家庭や仕事に追われている割には出席率はよく全く愛され過ぎだと感服した。
「よう、雪国倶楽部会長」
そう声をかけてきたのは車いすに乗る西島だった。
雪国倶楽部というのは大学時代、夏休みに暑い東京を抜け出して俺の実家があってなおかつ涼しい青森で練習に励むメンバーを先輩が冗談交じりにそう呼んだのだ。
西島もまたこの雪国倶楽部のメンバーで、俺はいつも彼らのために実家の一室を提供して一緒に練習をした。
「その呼び方恥ずかしいからやめてくれよ」
「俺にとってはそっちのイメージが強いんだ」
「そうかよ。あと車いすラグビー日本代表監督就任おめでとう」
「ありがとう」
チームメイトたちはお出ましの主役を誕生日席に座らせると、後ろで車いすを押していた女性に椅子を差し出した。
誰もがこの主役が再び表舞台に立つことを祝っているのが分かる。
あの頃、誰もがこのチームどころか日本代表をけん引すると信じていたこの男を愛しているのだ。
もう50近い男どもがああだこうだと思い出話やラグビーの話をしゃべり倒し、西島が日本代表を務めるという車いすラグビーについてもああだこうだと喋り倒した。
そのせいでまあよく酒が進むこと進むこと、気づけば一人二人とほろ酔いで帰っていって30人近くいた飲み会会場も気づけば10人ほどになって解散となった。
中央線で多摩方面に帰るのは俺と西島だけで、井伏は新宿に出て川崎の自宅へ帰るという。他の奴も千葉だとか埼玉で方向はバラバラだ。
「まさか俺らだけとはなあ」
「ほんとにな」
来るときに車いすを押してくれていた介助の人は子どもの発熱で帰ってしまい、同じ方向だからと車いすを押す事になった。
「自宅はどこだ?」
「浜田山。悪いけど三鷹での井の頭線乗り換えまで介助頼んでいいか?」
「了解」
駅員に事情を伝えるとホームへ案内され、タラップで車いすを列車に乗せる。
中野から吉祥寺までは20分とかからないが終電の時刻に近い列車はずいぶんと空いている。
「遅くまで飲み過ぎたな」
「ほんとにな、家族とかは大丈夫なのか?」
「かみさんには電話したから浜田山の駅まで迎え来てくれる」
「お前結婚したのか」
「おう、10年ほど前にな。それまではずっとお前のせいで悩んでたよ」
「はあ?」
「……大学の時、お前のことが好きだったから。それでゲイなのかってずっと悩んでた」
その意外な打ち明け話に目を丸くしていると「今はお前よりかみさんの方が好きだけどな」と言う。
約30年越しに打ち明けられた事実に思ったより衝撃を受けながらも、以前佐藤くんに言われたことを思い出した。
『豊さんってめちゃくちゃモテますよね』
なんか、こうして言われてみるとアレは事実だったのだなと思えてしまう。
「俺ほんとにモテるんだな」
「モテるよ」
「俺そんなつもり一切なかったから……」
「マジか。ってことは今自覚したのか?」
「今付き合ってる相手には言われたことあるけど、ちゃんと自覚したのは今」
思わず自分の顔を覆うと西島はなあと小さく切りだした。
「今付き合ってる相手ってどんな奴?」
「年下でラグビーに詳しい子だよ、お前のことも知ってた」
同性であることや大きすぎる年の差はいうと話がややこしくなりそうだったので伏せておいた。
そうかと西島は小さく呟くと満足したように目を閉じた。
やがて列車は吉祥寺に滑り込み、ドアが開くと駅員がタラップを出して井の頭線までの乗り換えを案内してくれたのでその通りに従っていく。
夜更けの井の頭線ホームは人気もまばらで静かな沈黙に包まれている。
「……老けたよなあお互い」
「ほんとにな」
「でも俺が好きだったお前のままで安心したよ。恋人さんによろしくな」
「俺お前のかみさんにやきもち焼かれたりしない?」
「まさか、昔好きだった男に嫉妬するほど器量は狭くないよ。お前の事好きになってなかったらかみさんとも出会ってなかったろうしな」
「そうなのか?」
「うちのかみさん青森の出なんだよ、大鰐温泉の近く。雪国倶楽部でも行ったろ?」
大鰐温泉と言えば弘前の隣町にある温泉街で、確かに大学生の時雪国倶楽部の面々で行った覚えがある。
「それで仲良くなったんだ、お前のことも打ち明けてある。今更嫉妬なんかしないさ」
「なら良かった」
「お前は?かみさんと死別したって聞いたけど、付き合ってる人いるなら幸せなんだろ?」
そう聞かれて娘たちと一緒に佐藤くんの姿が思い起こさされる。
確かに幸せと呼ぶにふさわしい状況かもしれないなと思うと「そうだな」と答えた。
ピンク色の列車がホームに滑り込むと、数人の人が降りてきて駅員がタラップを持って列車に乗るよう指示をした。
そして車いすを転がして邪魔にならないところへ止めると「ありがとうな」と西島が笑う。
「おう、今度お前が監督する試合見に行っていいか?」
「了解」
それじゃあなと手を振り駅のホームを去ると、電光掲示板に中央線は5分遅れだという表示を見つけて寒さ対策にと暖かいコーヒーをホームで買って中央線のホームに帰る。
それはまるで、かつて同じ時間を過ごしたとしても今の俺たちの帰るべき場所は違うのだというように。
けれどきっといつかラグビーボールを運ぶ風に呼ばれて、またみんなで逢う日は来るだろう。



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